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学生服

  2章:綿から学生服へ

2章:綿から学生服へ

綿から学生服へ岡山県倉敷市児島。その名の示すとおりもともとは島だったという塩分を含んだ土地、また、「晴れの国」とよばれるように全国的にみても降雨量の少ない気候は、米作にむかなかった。そこで綿の栽培に活路を見出した。綿は「児島三白(綿・塩・いかなご)」とよばれる特産のひとつとして数えられるようになり、ここから児島の繊維の歴史ははじまった。

綿は時代のニーズに応じて姿を変えていった。綿素材から綿織物、真田紐・小倉帯、韓人紐・腿帯子・弁髪紐などの細巾、足袋、そして学生服へと。全国的な洋装化の波のなか、足袋の裁断縫製技術、また特産の小倉厚織地を活用し、児島の繊維業は学制服・作業服の生産へと転換した。それにともない、染色工場やボタン会社、ミシン会社などもうまれ、地域内で一貫して生産するしくみができあがっていく。これが繊維のまちと呼ばれる所以だ。今となっては紡績会社こそ姿を消してしまったが、染色、織布、裁断、裁縫、加工まですべての工程が地域内でできてしまうのが児島の強み。「ボタンがない!」となっても5分で調達可能なのだ。

綿から学生服へその技術とひとのつながりを活かしてつくられた綿の霜降り学制服は、たちまち全国で「動きやすさ・丈夫さ・安さ」が評判になる。そして1937(昭和12)年には、生産量が約715万着となり、ほぼ全国の市場を独占する。そして、日中戦争での繊維統制時は一時低迷したものの、1962(昭和37)年には史上最高の1073万着の生産量を誇る。その後近代化がすすみ、ビニロンやテトロンなどを扱う全国的な合繊繊維メーカーが台頭し、学制服も合成繊維でつくられる時代をむかえた。
学生服資料館

 

フォーマル、かつ作業着であること

綿から学生服へ日本の学生服は、衣料品の分野でもかなり特異な位置づけにある。
欧米では冠婚葬祭それぞれにフォーマルスタイルがあるが、日本では大抵ブラックスーツ(略礼服)ですまされる。そして、学生は制服を着用することとされている。このため、フォーマルの場に相応しい「エレガント」な雰囲気が必要となるのだ。また、運動量の多い時代を何年も、それも毎日着用するため、破れにくく洗濯による型崩れ・色落ちの少ない「パワフル」で、様々な動きにこたえられる「機能的」な作業着でなくてはならない。さらに大人よりも肌の敏感な子どもが身に着けるため、生地の安全性や細かいところの縫製の仕方などに「優しさ」も必要だ。

このように、日本の学生服にはデザイン・品質ともに衣料品のトップクラスであることが求められる。綿栽培にはじまる長い歴史のある児島ならではの技術が、この学生服づくりにぞんぶんに活かされているのだ。
ちなみに、デザイン面では、膨大なデータから時代によって変わる学生の標準体型を導き出している。これに流行を加味し、伝統的ながらも時代のニーズにあった学生服を実現している。

 

どんな色にも染まらない、黒という潔さ

綿から学生服へ実は染色の技術を一番必要とされるのがブラック。濡れたような艶のある「漆黒」を表現する技術は日本独自のもので、世界に類を見ない。「安物のフォーマルを買うと冠婚葬祭で浮く」といわれるほど黒の深さは文化に根づいている。色落ちや日焼けに強いエレガントなブラックは学生服の定番。今でもとてもたいせつにされている。
黒といえば、「勝負の黒星」「不吉な黒猫」「腹黒い」など少し暗いイメージのことばもあるが、良いイメージのことばも多く知られている。例えば「経営の黒字」。これは、七福神の「大黒天(大黒様)」からきている。また、日本の古武道における有段者の「黒帯」などもあげられる。そして、おもしろいのが神仏の前や教育の場など神聖な場所で着用される衣服(冠婚葬祭で着用するフォーマルウェア、法廷で着用される裁判官の法服、学生服など)。どんな色にも染まらない「中立の意思」を示すものとして黒が使われている。美しい黒の学生服で世界を中立に見渡しながら成長してほしい。

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